言葉


世界中の知を集積した”バベルの図書館”はネット上の仮想空間にできるだろう。しかしそのすべてを俯瞰できるのはAIだけだ。人はその中のほんのひとかけらしか知ることはできない。街の図書館に行っても、貸し出しを待つ人が多い人気の流行本は何冊も購入しているが、何年も手にする人がいない本は、いつの間にか消えていく。毎年、体や心の健康を扱う実用書は大量に発行される。人は数値やエビデンスを求めるが、前提とする条件を変えればまったく違う結論になってしまう。科学的根拠とは変化し続けるものである。人は言葉によって作られていく。先生と呼ばれれば、そのようにふるまうようになるし、配偶者なども呼び方によってその形は変わってくる。
『虐殺には文法がある』 伊藤計劃の”虐殺器官”にでてくる一節だが、”100分de名著”のローティの回で、紹介されていた。”白黒つける””白星黒星”のように黒は否定的な意味合いで使われる。モハメド・アリは言葉が変わらなければ差別はなくならないと言い続けた。”政治の言葉”は冷淡で軽い。人は無関心とアイロニーを纏い、内なる残酷さや暴力性には目を瞑る。ローティは被抑圧者を語る”文学の言葉”には力があると信じていた。まったく違う文化や思想を持っていても、共感はできるのだと。『百年たったら帰っておいで 百年たてばその意味わかる』 寺山修司の言葉だが、彼の没後百年は60年後になる。その時に見えている景色はどのようなものだろう。
酒の肴にぴったりなテレビ番組はいくつかあるが、最近では”秋山ロケの地図”がいい。小平の回では、看板もない地下で週に一日だけ営業している中古レコード店がでてきた。店主をみると、私が古本屋を始めた頃から時々店を訪れ、レコードをチェックしていた人だった。不思議な人が不思議な店をやっていた。SP盤の”東京ブキウギ”をかけながら、ロバート秋山と踊っている姿はいい感じの妖怪でしたよ。楽しくなったので、今夜はもう一杯。