CRAZY


子どもの頃、クレイジーキャッツの映画をよく観に行った。たいていは二本立でゴジラや若大将のシリーズと併映されていたのだが、それよりもガハハと笑い、踊り歌う植木等の映画が好きだった。もっともらしい顔をして道徳などを語る人こそが不道徳で無責任であり、それは巨悪への痛烈な皮肉だった。日中戦争の時、アメリカは日本への石油の全面禁輸をしたが、その時の世論調査ではアメリカとの開戦には60パーセント以上の人が反対をしていた。しかし気がつけば皆が、”忠君愛国”や”滅私奉公”となっていく。8月になるとNHKでは、第二次世界大戦に関する番組を、過去の再放送も含めて多数放映する。今年は英軍の資料で、失敗を認めず玉砕へと突っ走る日本軍を、『日本軍指導者の道徳的勇気の欠如』と書かれた分析記録が紹介されていた。今も同じことが繰り返されている。
現在、この世界では独裁国家が7割であり、民主主義の国は3割にすぎない。そして民主主義の国でも、おかしな言説の政治家が支持されるようになってきた。この国でも”ヒトラーのやり方に学べ”と言った政治家がいた。ヒトラーは言葉の言い換えをする。”独裁”とは”高度な民主主義”であり、”戦争の準備”は”世界平和の維持”であると。ヘイトが"表現の自由"になる。数字の書き換えも行われる。生産性のない、役に立たない人を抹殺することで失業率は改善され、経済成長率の数字は形だけ上昇する。そして単純で高揚する言葉を呪文のように繰り返すのだ。大杉栄はテロリストではない。それまでの国家観や家族観と相容れなかった、生産性のない自由人だったが虐殺された。民主主義とはただ、”おかしい事をおかしいと言える社会"である。政治の言葉はどんどん雑になっていく。それにつれて社会もバカになっていくが、それこそが為政者の思う壺なのだ
谷川俊太郎は高校生の時に、”二十億光年の孤独”という詩で、『宇宙はどんどん膨らんでいく それ故みんなは不安である』と書いた。人は漠然とした不安から逃れるために、常識という共通の価値観を求める。しかし普遍的な常識などあるわけもなく、それが新たな不幸をうむ。あらゆる生物は同じひとつの細胞から生まれた。その細胞は、星が誕生した時にできた元素から成り立っている。あらゆる生命は同じものであり、人はその多様性を守るために意識を持つ事になった、ただの番人である。