最高の一日


私たちはせっせとゴミの分別をしている。しかし再生されるプラスチックごみは少なく、大半が海外に運ばれる。“プラスチックの村”ではそれを更に分別して金に変えられるものを売り、生計を立てている人たちがいる。そこでも使用できない大量のプラスチックは”豆腐工場の村”で燃料として使われていた。黒煙と悪臭の村の映像を見たが、それは産業革命後のスモッグだらけの霧のロンドンも、サンフランシスコも、経済成長期の東京にも同じ光景があった。川はヘドロに埋もれ、魚は死に、街には光化学スモッグの警報が出ていた。今はスーパーのビニール袋やストローの使用をやめることがエコロジカルになり、その間にも街は再開発され、エアコンを使い、肉を食べ、高速で移動し、更に膨大なエネルギー消費を続けている。見えている新しく清潔な光景に重なって、ネズミたちが蠢くもうひとつの町がある。
住んでいる周辺は倉庫街だ。12月の繁忙期には郵便受けに『夜間作業員 急募!』のようなチラシが入っている、夕暮れ時の郵便局に行く時間には、私と変わらない年齢の人たちが日勤が終わってバラバラと帰ってくる。近くのバス停では一列になった人たちが宙を見つめ、話している人は誰もいない。人以外の生物に老後はない。役割を終えれば死んでいく。人間の生物学的寿命は55歳くらいだが、ずいぶんと長く生きるようになった。それは長い幼年期や思春期を持つ人の子育てや異常気象などの災害に直面した時にも、多くの経験値を持つ者が必要だったからだろう。そして人と密接な関係にある犬や猫、競走馬などもまったく同じように長寿になった。そこには単に役割があるという事ではなく、何もなくてもただ普通に生きている、その事だけで愉楽があるということを知ったからなのだろう。
ラジオで町山智浩が、ヴィム・ヴェンダースの映画『PERFECT DAYS』を語っていた。 役所広司が演じる渋谷の公衆トイレ清掃人がカセットテープでいつも聴いている曲が、ルー・リードの”パーフェクト・ディ”やオーティス・レディングの”ドッグ・オブ・ザ・ベイ”だった。
『Sittin’in the morning sun / I’ll be sittin’when the evening comes』
『Just a perfect day / Drink sangria in the park』
公園のベンチに座って、沈んでいく夕陽をただ眺めながら、私はゆっくりと日本酒を飲んでいる。最高の一日。