生きる


「古本屋さん?」という電話があった。104で聞いたというが、まだあるんだ。出張買取はもうブックオフなどもやっていない。数日後には引っ越して家を解体するというので、夕方に郵便局に行った後に寄ることになった。車で30分くらいの町だ。このあたりかと車を停めると、玄関から私よりもいくらか年配の方が懐中電灯を持って現れた。3千冊くらいあるといっていたが、カーポートのような庭には小型の家具などに混ざって、本がうず高く積まれていた。背表紙を照らすとどれも、寿命の短い自己啓発本のような実用書で使いようがない。玄関では、そのまま懐中電灯を持って上がってと言われた。すでに電気は止めたという。部屋の中にも服や雑貨などが混ざった巨大な山があったが、そこにあるものも同じような品だった。人がひとり通れるような隙間を通り、その先にある物が散乱したプレハブの棚にある品は使えそうだ。そう言うと、「それは、ちょっと」という。こちらも、懐中電灯を片手に迷路のようなところから、本を運び出すのは大変な作業になる。残した方がいい品だけを知らせて、帰ることにした。私には面白い社会科見学だったので何もいらないと言ったのだが、帰りにワインを持たされた。それらの山の撤去だけで10万くらいかかるといっていたので、リサイクルできるものはうまく処分して、幾らかでも費用の足しになっていればいいのだが。
衣食住に興味はない。今年の秋もまた、高校生の時に買ったコートを着ていた。趣味といえば競馬と本屋くらいだ。競馬は使った分を回収すればいいだけだし、本はまた売った分だけ買えばいいので、まったく金のかからない循環型の趣味だ。しかし競馬はいいのだが、本を売るのはけっこう大変である。本をかついで歩いているとひどくしんどく感じて、足が進まない。座椅子に持たれていると、だるくて何もやる気が起きない。そんな日が何週間も続くので、近所のクリニックに行ってみた。「まったく検査をしてないのなら、一度やっておきましょう」となった。そういえば12年前に一度だけ、市の無料検診を受けたことがある。どうやら30半ばを過ぎて、十二支が一巡する毎に一段、また一段とギヤが入りにくくなり、アクセルも効かなくなるという感じなのだ。目や耳は悪くなり、体力も気力も髪も歯もなくなっていく。今年93歳のギリヤーク尼ケ崎は心臓にペースメーカーを入れ、パーキンソン病や脊柱管狭窄症などになりながら、今でも路上で踊り続けている。すごい人がいる。
”個人的な大江健三郎”という番組を観た。本を紹介する番組では、たいてい新本のような品が並んでいる。朝吹真理子が持ってきた『新しい人よ目覚めよ』の上下巻の文庫本は読み込まれ、かなり傷んでいて印象的だった。木枯らしにめげずに、ジーンズのポケットには近くにある草原行きのバス賃を、コートのポケットには古い文庫本とワンカップをつっこんで、重い荷物は持たずに、私もせめて散歩に出かけよう。福岡伸一は『最近はため息ばかり出る』と書いていた。みんな、同じだ。

くよくよするなよ。
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