ゆるい時間


朝起きて(昼なのだが)、コーヒーを飲む時間に必要なものはスポーツ新聞だ。寂れた昔ながらの蕎麦屋や中華屋にもスポーツ紙と瓶ビールはなくてはならない。スポーツが好きというわけではない。競馬中継を除けば、時々観るのは相撲くらいだ。どの競技のどこが、誰が勝とうと気にならないのもいい。椎名誠が”活字中毒者”と言っていた頃、手元に何もない時は広告チラシを見ていると書いていたが、そんな感じだろうか。相撲の星取り表は大好きだし、車券や舟券を買うわけでもないのに、グレードレースの詳細な出走表や全着順の載っている成績表などは、見ていて飽きることがない。一般紙のニュースを読む時とはまるで違う気分でいられる。そういえば、阿佐田哲也は開催中の全競輪場の出走表と成績表を見て遊んでいたし、鉄道ファンが時刻表を”読む”楽しさも同じものなのだろう。
そんなスポーツ紙でも、北の富士の相撲コラムと、井崎脩五郎の競馬コラムは長年愛読している。これがまたゆるくて、何も考えたくない時間には最適なのだ。北の富士の、先場所の千秋楽翌日のコラムでは、入門してからの10数年、名古屋場所で宿舎にしていた寺を訪ねてみたと書いていた。その近くにあった銭湯はすでになく、ボイラー室から一度だけ女風呂を覗かせてくれたことがあると、懐かしんでいた。テレビではドラマ”時間ですよ”が人気だった、のんびりとした空気感があった頃の話だ。熱戦がなかった翌日のボヤキも、いい感じなのである。井崎脩五郎のコラムには時々、競馬風俗評論家の立川末広が登場する。それが落語のご隠居と与太郎のようで、いつも脱力できる。立川末広はこれまでに何冊かの競馬や落語に関する著作があるのだが、それ以外の情報がまったくない。名前が出てきて長い年月が経っているのだが、今でも井崎脩五郎の創作した架空の人物ではないかと言われ続けている。そんな在り方があるのであれば、そんなにいい事はない。
ひとり暮らしをしていた頃は、電器製品など何も持っていなかった。夕方に買い物に出ると、商店街の電器屋では相撲中継が流れていて、千秋楽の日には立ち止まって観戦している人も多かった。いい夕暮れがあった。先日郵便局に行くと、北の富士のコラムにでてくる”北の富士カレー”を売っていたので、買ってみた。美味かったです。人にはどうでもいい事が楽しい、ゆるい時間が必要なのである。