放浪


小沢昭一の”日本の放浪芸”を聴いている。手元にある音源はお客がダビングしてくれたり、有線放送で録音したものがほとんどなので、手元に資料がない。”日本の放浪芸”が録音されたのは1970年の頃だと思う。”三河万歳”などの門付芸もまだ残っていた頃だ。その頃、”祭文語り”は山形に数人いた。別の音源で聞いた”デロレン祭文”は20年位前に三鷹の武蔵野劇場で二代目櫻川雛山が演じた小屋芸で、江州音頭浪曲の源流である。”日本の放浪芸”の中には天王寺の縁日風景が録音されていて、わずかだが啖呵売が残っていた。啖呵売や物売りが子供の頃から好きで、忠実に再現し小屋芸にしたのが坂野比呂志だ。この人の音源は”香具師口上集”という書籍の付属CDや”よそではめったに聴けないはなし”というシリーズのCDがあり、こちらは二葉百合子のナレーションで奥山風景を再現していて、それらは今でも聴く事ができる。20年位前の浅草の”奥山風景”や湯島の”梅まつり”といった催しの野外ステージでは、そういった芸が観られた。また別の音源に”大道芸口上集(下)”というのがあったが、これはどうやら大道芸研究会というところが1990年頃に発売したもののようだ。これらは貴重な資料ではあるが、”日本の放浪芸”に録音された見世物小屋の口上のような凄みはない。見世物小屋で一番稼げるのが呼び込みで、客が入るかどうかはその口上次第だ。啖呵売の全盛期、万年筆売りは10銭でもっともらしい万年筆を作ってもらい、それを50銭で売る。初任給が20数円の頃だ。万年筆を売るとわかっていれば誰も寄り付かないので、売るのは最後の一瞬で、それまで一時間以上の時間をかけて人を集め、寄せ付けて離さないというから凄まじい。道交法、食品衛生法薬事法などで路上での商売は随分と前からできなくなった。坂野比呂志の芸を紹介していた有線放送の番組に彼に芸を習った事がある佐藤まさ志という人が出演していた。ちょうど”ヘブンアーティスト”が始まった頃だ。”ヘブンアーティスト”とは都立公園などの特定の場所で特定の時間だけ、投げ銭での芸を許可するというものだ。佐藤まさ志は「一週間も間が空くと声が出ない」と語っていた。川崎競馬場で人生を語るように競馬の予想をする予想屋の人はNHKのドキュメンタリーで知ったが、コロナ禍での無観客開催がずっと続いている。そういった人たちは今どうしているのだろう。
秋田漫芸の大潟八郎という人がいて、曲はCDにもなっている。聴くと、その浮かれっぷりには度肝を抜かれる。放浪さえできない、こんな時代にこそ必要な音だと思える。漫芸の源流は秋田万歳で、秋田万歳は関が原後に水戸から移ってきた人たちの水戸万歳が元になっている。詞は『(秋田)おばこに夜這いをかけたら、犬に吠えられ味噌甕に落っこった』というような下世話で下品なものだが、そういった音曲は元々、閉塞感のあった武士や御殿女中たちもこっそり聴いて笑いとばしていた反逆と抵抗の音楽だ。どんな境遇にあったとしても、その境遇を恥じる必要は誰一人ない。
小沢昭一今村昌平の”人類学入門”(原作は野坂昭如エロ事師たち)のような名作の主演もしているが、”競輪上人行状記”(寺内大吉原作・今村昌平脚本)は忘れられない作品だ。説教と競輪の予想をしながら日本中の競輪場を行脚する姿が目に焼き付いている。