不滅の男


去年の暮れの事だ。夜明けも近く、そろそろ寝ようかとテレビのチャンネルを変えていると、スタジオライブの番組をやっていた。番組欄を見ると遠藤賢司の名前があったので、日本酒を継ぎ足しに行った。
時代の空気が変わったと思える年がある。1995年は阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件があり、そこから暗く重たい空気が流れ始めた。1968年は逆にアヴァンギャルドで自由な空気を感じた年だ。その頃のテレビに、当時流行した「アングラ文化」を紹介する番組があった。その番組で天井桟敷の「時代はサーカスの象にのって」という演劇を映した回があり、その舞台でギターを弾きながら「夜汽車のブルース」を歌っていたのが遠藤賢司を観た最初だったと思う。
いつの時も、好きな本や映画や音楽や美術などはあるが、特に何かにはまるという事もなく通り過ぎていく。しかし、元気が欲しいと思える酔った夜に、時々遠藤賢司ニール・ヤングを聴きたくなるのはあの頃も今も変わらない。去年のラジオ番組で、結局最後になってしまった次のライブの話をしていた時だったろうか。これからやりたい事はと聞かれた彼は、「ニール・ヤングと同じステージにたつ」と語っていた。
もう何年も、大日本帝国への回帰のような嫌な風が吹いている。明治から大正デモクラシーエログロナンセンスの時代になったように風向きが変わって欲しいと思いながら、遠藤賢司を聴いている。

カッコーの巣


仕事が終わった深夜、一杯やろうとテレビをつけるとETV特集が流れていた。福島原発の帰還困難地域に5つの精神病院があり、そこの長期の入院患者のほとんどすべてが転院先で入院の必要なしとされたというのだ。世界中の精神病院の病床の2割が日本にあり、入院をすれば退院ができなくなる。優生保護法と同じように経済成長期の日本の、役に立たない者を排除する政策は国連から人権侵害だと是正を求められた。そして今も当たり前のように、 威丈高で稚拙な言葉が世界中に溢れている。
20代の終わり頃の事だ。その日暮らしをしていた僕は都心の駅で偶然、高校の同級生だったSさんと再会した。結婚をして湾岸のマンションに住んでいるという彼女は、同級生だった友人に声をかけるので、一度私の自宅で飲みましょうと言った。連絡があり訪ねてみると、陶芸家などそれぞれの道を頑張っているという同級生たちの中に見知らぬ顔があった。その人は詩を書いているといい、出版したという詩集を渡された。Sさんは、何かをやろうとするわけでもない僕と、彼女とどこか似たようなものを感じてよんだのだろうか。繊細な道化にみえた彼女が自殺したという連絡があったのは、それからしばらくたってからの事だった。その後何年も過ぎ、店を始めていた僕は突然やってきた鬱に悩まされていた。あの時Sさんが、「不安定な時期があった」と話していた事をふと思い出し、連絡をしてみた。すると彼女は、「男が入院をすれば、でてこられなくなるよ」と言うのだった。その頃だっただろうか。店のお客で酒を飲んだ事もあるNくんから、「精神病院に入院していて、今度帰宅する日に本を処分したい」という電話があったのは。予定の日に訪ねると、「息子が帰宅できなくなったので」と穏やかな表情の父親が部屋に案内してくれた。そして「すべて処分していいと言っているので、ご自由に使ってください」と言った。僕は何も考えずにただ淡々と査定を続けるしかない。Nくんが店に顔を出す事は、もう二度となかった。

歌姫


よく飲み歩いていた若い頃、帰ってひとりの部屋で聴く中島みゆきのレコードが心に沁みた。2ヶ月違いで生まれた”歌姫”と同時代を生き、数十年たった今でも変わらずに歌い続ける姿を観る事ができるのは幸福な事だ。その歌声を聴けば、虚勢や欲望もなく素直に言う事ができるような気がする。僕も元気です。

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愛の唄


どうしても思い出せない事柄があり、そういえば以前に”旧おすすめ動画”に載せたことがあったと数年ぶりに開いてみると、もう観ることができなくなっていた。動画の貼り付けができなくなってこちらのサイトに移転したので、貼り付けがあるブログは閲覧不能になったのだろう。入院したKの気晴らしのために始めた”旧おすすめ動画”だが、ほぼ毎日のように更新をしていた。その事がなければ、YouTubeをあんなに観る事もなかっただろう。思いつくままの単語を(海外のものは原語に戻し)ファイルに溜めておき、時間が空いた時に検索をしてみた。するとジャン・ジュネマン・レイといった映像作品からその関連動画へと、今まで本の中だけの知識で実際には観る事ができないと思っていた映像が次々と現れた。それもまた忘却の彼方だ。検索した言葉ももう覚えていない。いつか消えてゆく個人の歴史は忘却と空想の愉悦の中にある。あの頃の数年ももう幻のようだ。しかし国家の歴史は検証され続けなければならない。そして表現の歴史も同じだ。社会と戦いたいわけじゃない。戦うべきは社会の常識なのだ。

四人囃子


“たまら・び”最新号の特集、”蒐集家ものがたり”の中のイメージカットに店の写真が使われていた。はやいもので、店をやめてもうすぐ3年になる。高価なものから家賃に変わっていったので、あれから延々と均一本の整理を続けている感じだ。店のお客だったとういう方から何冊かの注文があった。送金の連絡に、「少し余計に振り込みをしたので、それで一杯やってください」というメッセージが添えられていた。お礼の連絡とともに評価を入れると、ずいぶんと昔の履歴が一点あった。そのレコードのことはよく覚えている。ネットにはまだそれほど大量の商品が氾濫しておらず、それなりの値段で売れていた頃の事だ。梱包の厄介なレコードだが、「近くなので取りに行きます」という連絡があった。そうか、あの時からのお客だったのか。ありがとうございます。酒は今でも毎日チビチビと飲んでおりますが、たまには昔のように酔いつぶれたい気分です。

渚にて


テレビをつけると女性代議士のどうでもいいような問題がまた垂れ流されていた。そして今日は、同じ方向を向いているこの国の総理と都知事の顔が画面に映し出されていて気分が悪くなる。しかし、NHKスペシャルが取材した「沖縄と核」のような問題が報道番組で語られる事はまずない。キューバ危機の頃、沖縄には地球全体を破壊できるほどの1300発もの核弾頭が持ち込まれていた。核弾頭はミサイルに装着され、いつでも発射できる臨戦態勢になっていたが、点検中のミサイルが水平に誤発射され、那覇の沖合に落下した事があった。幸いにも不発だったので、ミサイルは極秘に回収されたのだ。当時の米兵の証言では、核戦争は必ず起こると皆が感じていた。もし誤発射に他の国の反撃があり、核弾頭の保管庫に着弾するような事があれば、沖縄は世界地図から消えていただろう。この国には多数の原発があり、サリン事件のようなテロもあり、自然災害は毎年のように起こっている。危機のない時代などあった事はないのだ。あからさまに危機を煽るのはいつの時代もどの国でも、為政者の保身と欲望にすぎない。人はさまざまな社会制度や宗教など、生存のためのシステムを創りだしたが、その歴史は虐殺と繁栄の繰り返しだ。資本主義も共産主義も幻想だった。今、人は貨幣の奴隷になり、そのあげくにこの地球上には8億もの飢えた人がいる。生きる意味を思考し続けて尚、人は自滅していく生物なのだろう。人は満たされても幸福ではなく、満たされなければ暴発する。栗本慎一郎さん、私はもうとっととパンツを脱いじゃいましたけど・・・。それが、何か・・・?

生活の柄


集団行動が苦手だった。子供の僕は子供が嫌いで、幼稚園にいく事ができない。小学生になっても机の前でジッとしていることが苦痛だった。それは高学年になるにつれ段々と薄れていったが、そこが居心地が悪い場所であるという事に変わりはなかった。学校の図書室や町の図書館、駅前の貸本屋などで本を開いている時間が幸福だった。それ以外に欲しいものもない。組織の中でバリバリとやっていく姿など想像もつかなかったし、職人や農業には憧れるが、コツコツとずっと続けていけるとも思えなかった。しかし無理をして頑張らなくても、居心地の良い場所を探し続け、その事にさえ労を惜しまなければ、それなりに愉しく生きていく事はできる。もうすぐ熱燗がうまく、活字を読むにもいい季節になる。若かった頃の若者向け雑誌にはやがてくる世界の終末や、神秘主義やオカルティズムの特集が何度も組まれていて、さまざまな奇想を広げていく事ができた。ナチズムのような全体主義はその中にある不安と陶酔、狂熱を利用する。いつの時代も同じだ。 世界の終末とは、個人が全体になる思考停止の感情に満ちた世界の姿だ。