自由


鶴瓶の深夜番組を観ているとゲストのイッセー尾形が、巷の気になる人で何度か行った事があるという四国の古本屋を紹介していた。外観は今時風の洒落た造りなのだが、くわえ煙草で珈琲好きの店主が山になった雑多な本に埋もれていた。こんな道楽の店がまだ生き残っているんだな。だがそんな店はほば絶滅し、町からは自由が消え、もう人の多い場所には行く事もできない。
NHKスペシャルで『日本新聞の10年』をやっていた。大正デモクラシーで得た自由を、”日本主義”という全体主義が消してしまうまで、たった10年だった。その頃、ワイマール共和国も10数年で消えた。それから80年後の今、日本新聞で使われていた扇動の言葉がまた聞こえるようになり、あの頃と同じような乱暴な光景が見られるようになった。
産業革命以降の自分は何者であるのか、何かの役に立つのかという人の心の隙間をあっという間に全体主義が侵食していく。全体から個へ、ナショナリズムからノマドへ、何者にもならず個別に考え、ただ道楽を生き続けるだけだ。

tell me


ラジオから”tell me”という声が聴こえてきた。その人は”unravel me”とも言っていた。もし僕にその言葉が向けられたなら、まったく同じ言葉を相手に返すだろう。誰にも解明なんかできやしない。
長年の黒木華のファンなので、『凪のお暇』というドラマを観た。あの人の演技を観るだけでなぜか嬉しいのだ。すると店のあった商店街がドラマの舞台になっていた。映像で見るととてもいい雰囲気で、確かに家賃の心配のなかった一年間は楽しかった。URの半年間の家賃免除の支援があり、その上小銭を賭けた競馬でも奇跡が起きたのだった。しかし店を移転してからやめるまでの何年かの間にも、短く小さな商店街の中で夜逃げ、心中、突然死、末期癌などいろいろな事が起こっていた。町にはそんな事は何もないかのような日常の時間が流れていて、行き交う人も何も気づかない。ある日通った人が何気なく立ち止まると、いつのまにかシャッターの閉まったままの店ばかりがあり、他の人が通る姿もまったく見えない事に気づく。そんな場所が日本中のいたるところにあるのだろう。
文学や芸術をつくるのは狂気である。作家とはとんでもない人たちばかりにみえたが、それが近代によって排除された精神のセーフティネットだったのだ。今では作家にさえ道徳性が求められ(世界は不道徳で単純な言葉に満ちているのに)、表現も経済行為として語られるようになってしまった。中島梓が”ベストセラーの構造”を書いた頃よりも、ずっとひどくなった。”tell me”に答える声は聞こえない。

治ちゃん


橋本治が死んだ。小林信彦週刊文春の連載で『治ちゃん』と書いていたが、権威とは無縁の人で敬意を込めてつい『治ちゃん』と言いたくなる。哲学や文学の耳触りの良いワンフレーズは使わず、ややこしい事をただややこしく『考え続ける人』だった。今、耳にする伝統や道徳といったものは明治以降につくられたものだ。そういう人たちに都合よく日本文化が利用されないために、「窯変 源氏物語」「桃尻語訳 枕草子」「橋本治古事記」「ひらがな日本美術史」といった多くの著書で、彼らの論拠を断ってきた。なくてはならない人がいなくなっていく。考える事をやめてしまえば、いつか正義が世界を滅ぼすだろう。現在ETVで放映中の『フランケンシュタインの誘惑』は、原爆の開発、水爆の製造、ロボトミー手術など科学者が思考停止に陥っていく証言記録の番組だ。
平成の終わりに内田裕也萩原健一も死んだ。叩かれる恐怖で叩く側に回る神経症の時代に、弱者の気持ちに寄り添うことができるアウトローたちの居場所ももうない。

天才


一杯やろうと深夜のテレビをつけると、知能指数188の天才青年を紹介する番組をやっていて、脳科学者の中野信子が脳を調べた結果を『空間認知能力』が突出していると語っていた(暗記力や読解力があるわけではない)。特別な学習をしなくてもピアノが弾け、交響曲が作曲できる。正確な写実画を描くこともできる。光の入射角や反射角、風の向きや速度なども即座に数値化でき、画面に再現できるようなのだ。彼は、文章を読むと書いた人物の知能指数がわかり、「ゲーテは200近くある」とも語っていた。
十代の頃の僕は図書館の本をジャンルを問わず、片っ端から読んでいた。小説も読んだが、登場人物への感情移入や物語への共感といった事にはあまり興味がなかった。この世界にはどうやら、『僕には理解できない風景が見えている人たちがいる』という事が新鮮で、興味津々だったのだ。同じものをみていても、人によって違う風景がみえている。幸福感も人によってまったく異なっている。すべてはその事を知るところから始まるのだ。僕は今、穏やかな昼下がりに猫と一緒に万年床にもぐりこんで、うつらうつらしている。やりたいことがあるわけでもなく、衣食住に興味があるわけでもない。スタイルを求めてもむなしいだけだ。僕は猫と同じ景色を見ながら、同じ幸福感に包まれて眠っている。

ケータイ


ケータイは持っている。家人が仕事で必要ということで販売店に行くと、『家族割がお得』と言われて私の分も購入してきたのだ。しかし店の営業時間中はずっと電話の前にいるので、まったく使う必要がない。その内に街から公衆電話が消えて、お客からの依頼で自宅へ伺う時だけはケータイを持つようになった。以前、カメラ散歩をしていた時期があった。地層の形状など細部ばかりに眼がいき、歩くこと自体が楽しめなくなって持つことをやめた。今ではスマホがカメラだ。それは電話であり、切符であり、貨幣であり、さまざまな情報も詰まっている。カメラでさえ持てないのに、そんな失くしてはいけないようなものを持ち歩く事はできない。何しろ財布や時計も持った事がないのだ。小銭とワンカップだけをバッグに入れ、他は何も持たずに自由にただフラフラしていたい。格差は広がるばかりだが、階級闘争はもう起こらない。人はシステムの奴隷になり、その意味さえ気付かなくなっていく。規範の壊れた新自由主義にあるのは捏造された構造ばかりだ。脱構築とは漂白である。
カーラジオから気分の良い曲が流れている。お客から連絡があり、バッグにケータイを入れ車で青梅に向かっていた。その翌日の事だ。バッグに入れっぱなしになっていたケータイを取り出し、用のある時には電池切れになっているのでいつものように電源を切ろうとした。すると『着信アリ』となっている。この電話番号を知る人はほぼいない。なんだろうかと見ると、どこか見覚えのある番号だった。しばらくして気づいた。それはもう使われていない店の電話番号だったのだ。どうしてそんな事が起きたかはわからない。単純な事なのかもしれないが、謎は謎のままにしておく事にした。あの電話番号の向こうのもう一つの世界では、私はまだ古本屋を続けているのだろう。そしてその机の上にはきっと、店を始めた頃に使っていたダイヤル式の黒い電話が今もあるに違いないのだ。

君の友だち


店を始めてからまったく行くことがなくなってしまった古本屋だが、やめてからは月に一度のぞいてみるようになった。半年くらい前だったろうか。古本屋を巡り酒も入った帰り、最終電車の時間が迫っていて走っていると、画家のSととある駅前でバッタリと出会った。S君が「キスをしよう」というので、ハグしてキスをし(男です)、「じゃあ、また飲み会でもあったら」と駅へと走り出そうとした時だ。女性が駆け寄り、「テレビ東京ですけど」とマイクを出したのだった。時間がないので、そのまま駅の構内へと走った。いやあ、とてもじゃないけど深夜の番組で観るような、波乱万丈の感動的な話や悲惨な話などあるわけもない。淡々と何事もなく年を重ねている。飲みに行っても、特に報告することもなく金もない。何もなく、また一年が過ぎた。
ジェームス・テイラーも同じように年をとったけれど、いい感じです。

計画停電の夜


津波原発、絶望的な映像が毎日テレビで流れていた。あの時、計画停電の夜が何度かあった。作業を急いでいると突然、すべての電源がおちた。もう何もできない。何もしなくてもいいのだと思うと、今までに味わったことのない解放感が溢れた。開けっ放しの入り口から冬の冷気が入ってくるがエアコンも電気ストーブも使えない。人が求め続けてきた物は闇の中では意味をなさないのだ。外には街灯も信号も消えた暗闇だけがある。机の上に置いた電池式のランタンの灯りに誘われて、人が集まってきた。机の周りに置いた椅子やその後ろで肩を寄せ合い、誰かが持ってきた酒で体を暖めた。軽口をたたき、笑った。ガソリンスタンドはずっと閉鎖されていて、車も使えなかったのだ。このまま停電が続くのならポケットにワンカップを入れて、月明かりをたよりに『歩いて帰ろう』と空想していた。しかし、日々の暮らしに追われる日常はすぐに戻った。皆が夢から覚めたように、それぞれが働く世界へと帰って行った。災害は毎年起こっている。いつか『破局噴火』も起こるだろう。幸福と絶望は、生と死は同じ地平にある。人は何と途方もない勘違いを生きているのだろう。