邪宗門


寺山修司の映画や演劇を観たのは十代の頃だった。文化とは例外(異端)を生み出すための装置である。
生物が生存していくには多様性が必要だ。働く蟻や闘う蟻だけしかいない社会は絶滅する。働かない蟻にも意味がある。新人類の中で、他よりも弱点の多いホモ・サピエンスだけが生き延びる事ができたのは、それを補うための相互扶助を知ったからだった。そして人間社会は成立したが、しかし今はその人口はすぐにも100億になり、大量のエネルギー消費が必要な未曾有の事態だ。神話から未来永劫続くという国家観は、その時代の為政者に都合よく書き換えられる。国家(政権)とは生まれては消える存在なのだ。愛国心は政権に対する忠誠ではなく、生きている土地を愛する事である。多様性のない社会、利益誘導と同調圧力の社会はまたいつかと同じ破滅の道へと向かうだろう。
時の政権が民衆を啓蒙する宗教を弾圧したのが「邪宗門」だ。世の中がなんだか息苦しく思える日、CDで寺山修司の演劇”邪宗門”のラストシーンを聴くと元気がでた。人は欲望の奴隷にならず、いつか弾圧と迫害から解放されるのだと。

ケ・サラ


直射日光の中をビールを飲みながら歩いていると脱水症状になる。暑さを逃れて木陰へと行けば蚊やダニに襲われる。夏が好きな人はエアコンの効いた部屋で、白い砂浜の画像を見ながら夏らしい音楽を聴き、冷たいカクテルでも楽しんでいるのだろう。75億人のすべてが快適な暮らしができればよいが、その時はエネルギー消費の加速度的な増大による環境悪化でドームの中での生活という事になるのだろうか。
夏の真夜中には風が吹き、冬の真夜中は北風もやむ優しい日がもどってほしい。エアコンの効いた場所ではなく、ワンカップを片手にただ歩いていたいのだ。暑い部屋で憂歌団を聴いていた。彼らのライブには3回行ったことがあるが、木村くんは大阪の公園と酒がよく似合う。あんなにうまそうには飲めないけれど、月明かりに照らされた公園のベンチで飲みながら、終末はゆっくりと静かに訪れてほしい。あと一杯だけ、などと言いながら。どうなる?どうにかなる!

生きる


この国が死の意味を国家から個人に取り戻したのは70年前だ。そこに必要なものは認識と記憶だが、時代は逆行しもはや他の何かになる想像力も希薄になってきた。帰属意識を持たなければ排除をされるという恐怖心がこの社会を支配している。そして集団から個人へと取り戻したはずの死もまた理不尽に訪れるのだ。
梅雨空の夕暮れ時、机の前で作業をしていると電話が鳴った。また営業だろうと面倒に思いながら受話器をとると、「⚪︎⚪︎ですが…」と女性の声がした。「あー、久しぶりですねー」と能天気な声を出した私に、彼女は静かな声で「だんなが死んだんですよ」と続けたのだった。アニメーターのKくんは、店を始めた頃に特殊な背景を描く資料を探しに来て話したのが最初だったので、もう随分と長い付き合いになる。ひと月くらい前の明け方に、仕事部屋のアパートで締め切りの原稿を書き終えた後、カップラーメンの用意をしていた時に倒れたらしく、原稿を取りに来た制作会社の方がみつけたのだけれど、すでに…と話す奥さんの声を聞きながら、私は『働くしかない。死ねないなあ』と言っていたKくんを思い出していた。まだ50代だし、大変な事情も知っているので返す言葉もなかった。とにかくタフで、徹夜明けで店に顔をだしても、『一週間ぶりの帰宅だ』『このあと、用事で田舎にいく』といったことがよくあった。一ヶ月がたち、少し落ち着いたらしい奥さんの昔の話に、私には「なんとか、がんばりましょう」という言葉しかなかった。

不滅の男


去年の暮れの事だ。夜明けも近く、そろそろ寝ようかとテレビのチャンネルを変えていると、スタジオライブの番組をやっていた。番組欄を見ると遠藤賢司の名前があったので、日本酒を継ぎ足しに行った。
時代の空気が変わったと思える年がある。1995年は阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件があり、そこから暗く重たい空気が流れ始めた。1968年は逆にアヴァンギャルドで自由な空気を感じた年だ。その頃のテレビに、当時流行した「アングラ文化」を紹介する番組があった。その番組で天井桟敷の「時代はサーカスの象にのって」という演劇を映した回があり、その舞台でギターを弾きながら「夜汽車のブルース」を歌っていたのが遠藤賢司を観た最初だったと思う。
いつの時も、好きな本や映画や音楽や美術などはあるが、特に何かにはまるという事もなく通り過ぎていく。しかし、元気が欲しいと思える酔った夜に、時々遠藤賢司ニール・ヤングを聴きたくなるのはあの頃も今も変わらない。去年のラジオ番組で、結局最後になってしまった次のライブの話をしていた時だったろうか。これからやりたい事はと聞かれた彼は、「ニール・ヤングと同じステージにたつ」と語っていた。
もう何年も、大日本帝国への回帰のような嫌な風が吹いている。明治から大正デモクラシーエログロナンセンスの時代になったように風向きが変わって欲しいと思いながら、遠藤賢司を聴いている。

カッコーの巣


仕事が終わった深夜、一杯やろうとテレビをつけるとETV特集が流れていた。福島原発の帰還困難地域に5つの精神病院があり、そこの長期の入院患者のほとんどすべてが転院先で入院の必要なしとされたというのだ。世界中の精神病院の病床の2割が日本にあり、入院をすれば退院ができなくなる。優生保護法と同じように経済成長期の日本の、役に立たない者を排除する政策は国連から人権侵害だと是正を求められた。そして今も当たり前のように、 威丈高で稚拙な言葉が世界中に溢れている。
20代の終わり頃の事だ。その日暮らしをしていた僕は都心の駅で偶然、高校の同級生だったSさんと再会した。結婚をして湾岸のマンションに住んでいるという彼女は、同級生だった友人に声をかけるので、一度私の自宅で飲みましょうと言った。連絡があり訪ねてみると、陶芸家などそれぞれの道を頑張っているという同級生たちの中に見知らぬ顔があった。その人は詩を書いているといい、出版したという詩集を渡された。Sさんは、何かをやろうとするわけでもない僕と、彼女とどこか似たようなものを感じてよんだのだろうか。繊細な道化にみえた彼女が自殺したという連絡があったのは、それからしばらくたってからの事だった。その後何年も過ぎ、店を始めていた僕は突然やってきた鬱に悩まされていた。あの時Sさんが、「不安定な時期があった」と話していた事をふと思い出し、連絡をしてみた。すると彼女は、「男が入院をすれば、でてこられなくなるよ」と言うのだった。その頃だっただろうか。店のお客で酒を飲んだ事もあるNくんから、「精神病院に入院していて、今度帰宅する日に本を処分したい」という電話があったのは。予定の日に訪ねると、「息子が帰宅できなくなったので」と穏やかな表情の父親が部屋に案内してくれた。そして「すべて処分していいと言っているので、ご自由に使ってください」と言った。僕は何も考えずにただ淡々と査定を続けるしかない。Nくんが店に顔を出す事は、もう二度となかった。

歌姫


よく飲み歩いていた若い頃、帰ってひとりの部屋で聴く中島みゆきのレコードが心に沁みた。2ヶ月違いで生まれた”歌姫”と同時代を生き、数十年たった今でも変わらずに歌い続ける姿を観る事ができるのは幸福な事だ。その歌声を聴けば、虚勢や欲望もなく素直に言う事ができるような気がする。僕も元気です。

愛の唄


どうしても思い出せない事柄があり、そういえば以前に”旧おすすめ動画”に載せたことがあったと数年ぶりに開いてみると、もう観ることができなくなっていた。動画の貼り付けができなくなってこちらのサイトに移転したので、貼り付けがあるブログは閲覧不能になったのだろう。入院したKの気晴らしのために始めた”旧おすすめ動画”だが、ほぼ毎日のように更新をしていた。その事がなければ、YouTubeをあんなに観る事もなかっただろう。思いつくままの単語を(海外のものは原語に戻し)ファイルに溜めておき、時間が空いた時に検索をしてみた。するとジャン・ジュネマン・レイといった映像作品からその関連動画へと、今まで本の中だけの知識で実際には観る事ができないと思っていた映像が次々と現れた。それもまた忘却の彼方だ。検索した言葉ももう覚えていない。いつか消えてゆく個人の歴史は忘却と空想の愉悦の中にある。あの頃の数年ももう幻のようだ。しかし国家の歴史は検証され続けなければならない。そして表現の歴史も同じだ。社会と戦いたいわけじゃない。戦うべきは社会の常識なのだ。