いいんだぜ


更級日記”は平凡な一生を送った女性が、人生を振り返るという内容だ。父が任期を終え、上総から都へと旅をする道中がかなり長く書かれている。晩年に「あの頃の私はバカだったなあ」と少女の頃を思い起こすのだが、都の暮らしを夢み、”源氏物語”の世界に憧れていた12,3歳の、まだ何者にもなっていない頃の旅が一番輝いていたのだろう。それは今の私たちも変わらない。近くにある多摩丘陵は”平成狸合戦ぽんぽこ”で描かれたように開発されてしまったが、まだ多くの緑地も残っている。そこにある古道の樹々の間を歩けば、見上げた空の先はあの少女のいた平安時代の空へと繋がっているのだと思えてくる。この道はどこでもないどこかへと続いている。
ラジオでは宮台真司がもう何年も前からずっと、損得でしか動かず、ポジション取りばかりをしている『日本人の劣化』を語り続けている。橋本治が”バカになったか、日本人”を書いたのは6年前で、”知性の顛覆 日本人がバカになっていく構造”を書いたのは3年前だった。『歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として』この世界はでたらめな、出来の悪い喜劇だ。それでも人生は面白い。近くにある川で一杯やっていると風がそよぎ、そこが”寅さん”のいた荒川の土手になった。
何者でもいい。『いいんだぜ』と中島らもは歌っている。

青空


「わたしもインディアナ州で ほかのみんなのように のらくら暮らしていたが とつぜん体のなかから あるものが湧きだした それは文明への嫌悪だった」 ー カート・ヴォネガット

『江戸にフランス革命を!』と書いたのは橋本治だ。絶対君主制に対するフランス革命大英帝国とのアメリカ独立戦争から民衆のナショナリズムは生まれた。しかし、この国では”大日本帝国憲法”発布により、政権への不満を他の対象へと向けるために、お上によってつくられたものだ。この国には民衆から生まれたナショナリズムや民主主義はない。虚妄の選民意識を持たさせられれば、棄民がつくられる。しかし誰もが等しく棄民であるということは、歴史をみれば誰にでもわかることだ。世界の人口のたった数パーセントが二酸化炭素排出量の半分を使う暮らしをしているが、50パーセントの人たちは大量のエネルギー消費とは無縁の暮らしをしている。それでも、プライベートジェットよりも焚き火の煙が”不快”と非難されるのだ。橋本治が”原っぱ”について語っていた。戦後民主主義は原っぱを潰し、自由を規制する作業をしただけだった。だが、誰もが心のどこかに原っぱを持っている。
『家、ついていっていいですか』というテレビ番組を観ていると、風呂なし安アパートの住人が銭湯に行ったあと、焼酎とお湯とつまみを持ち、公園のベンチで一杯やっていた。そこには何もないが何でもあった幻の原っぱが確かに広がっていた。わたしもただ青空だけがある場所、何もない場所に座ってワンカップを飲んでいる。

乱歩


小林清親の”ガス燈”、夜店の”アセチレンのランプ”の灯り、その隣には必ず深い闇があり、そこには何かがいる。乱歩の世界は町のどこにでもあった。椅子の中や屋根裏には人がひそんでいて、裸電球の土間で営業をしている古本屋の障子の向こう側では秘め事が行われている。少年の頃、城のある公園の夏祭りの日、僕は夜店の前に佇んでいた。木の葉がざわめくと光が揺れ、闇の中で何かの影が動いた。その時、僕は人さらいにさらわれた。サーカス団や見世物小屋の住人たちがいるパノラマ島に確かにいたのだ。しかし気がつくとまた元の、同じ場所の同じ時間に戻っていた。今では闇は消え、影の揺らぎも木の葉のざわめきもなく、監視カメラだらけの街には異界のものたちが潜む場所はない。
本屋に行けば、過去の小説が再版されていて、カバーがアニメ風の絵に変わっている。新しい読者を獲得するためには必要なのだろうが、なんだか種明かしをされた後の手品を見ているような気分になる。遠い日に、テアトル東京でキューブリックの”2001年宇宙の旅”を観た後、アーサー・C・クラークの小説版を読んだ。ひどくわかりやすい物語になっていて、映画を観た時のワクワクは急速に消えていった。ブラッドベリの”何かが道をやってくる”の何かは、いつまでも何かであっていい。幻視の扉を開ければ、そこにはボルヘスの”迷宮の図書館”がある。

JAZZ


『セックス・ドラッグ・ジャズ』は、ケルアックの”路上(オン・ザ・ロード)”の帯にも書いてある”ビート・ジェネレーション”を象徴する言葉だ。1960年代の後半はその中の”ジャズ”が”ロックンロール”に変わっていった頃だが、まだ多くのジャズ喫茶が営業していた。10代だった僕は”ビート・ジェネレーション”の世代ではないし、ギンズバーグの”吠える”よりもボードレールの”悪の華”のほうがずっと心に響いていたが、”ショートピース”の煙が充満する渋谷や新宿のジャズ喫茶でよく時間を潰していた。自由が丘の”ファイブスポット”のライブでは、まだデビューする前の増尾好秋を聴いた記憶がある。日本のジャズでは刹那的な阿部薫のサックスや打楽器のようにピアノを弾いていた山下洋輔には衝撃をうけたし、高木元輝と豊住芳三郎は”狂気が彷徨う”という映画の暗い画面を更に暗くする音楽が印象に残っている。武満徹やタージ・マハル旅行団(小杉武久)のような、音と音の”間”に音を感じるというような時代だった。ジャズ、ロック、現代音楽の融合、他のジャンルの表現とのボーダーレスの時代でもあった。
小杉武久が演奏をしている映像を観た、”フルクサス”の展示があった清里現代美術館は今はもうない。あまりの喧騒に車で通り過ぎただけだった清里の今を”やすらぎの刻”というドラマで知ったが、人のいないひっそりとした場所に変貌していた。時代は移り変わり、すぐに忘れ去られていく。しかし未来を知るためには、過去を知るしか方法はない。ラジオから現在のロンドン・ジャズ、”SEED ENSEMBLE”というグループの曲が流れてきた。

舞踏


店を移転してしばらく経った頃だったろうか。暗黒舞踏の”大駱駝艦”などのポスターを持ってきたお客がいた。大駱駝艦の稽古場は吉祥寺にあり、中央線の中野~三鷹間にはまだ多くの古本屋がある。「どうしてこの町まで」と聞いてみた。店を始めたばかりの頃を思い出していたのだ。その頃よく来ていたお客がある日、「仕事を辞めて演劇か舞踏をやりたい」と話してきた。彼はその夏の大駱駝艦の合宿に参加し、その後入団をする事に決めたのだった。それからは公演があるとポスターとチラシを持って店に現れたので、定休日と重なった時には差し入れの日本酒”天狗舞”を持って観に出かけた。
そんなことがあったので、大駱駝艦にいるというお客にきいてみたのだが、何も知らないようだった。ポスターやチラシは希少で高価なものもあるのだが、元は宣伝のために配られるものであり、使われなかった残存数もわからないので扱いにくい品である。他の店で断られたのかもしれないが、交通費を使ってわざわざ来てくれたのに、二束三文で帰すわけにもいかない。売れそうな品もそれなりにあったので、最悪赤字にはならない程度の、彼も少しは一息つけそうな値段で買い取る事にした。
観に行っていた頃の大駱駝艦は全盛期だった。それ以前には、土方巽は西武劇場で『静かな家』を観た。衝撃だった。のちに土方巽の語りを収録したCDが発売される事になった時にはどうしても店で扱いたくなり、「卸値で売ってくれませんか」とアスベスト館を訪れた事もあった。”天使論”を書いた笠井叡は、無料のワークショップのようなところで観たが、その踊りは華麗だった。”言葉の洪水”だった芥正彦の街頭演劇は歩行者天国に観にでかけた。
あらゆるジャンルは興隆すればやがて縮小再生産され、衰退をする。1997年に”万有引力”月蝕歌劇団など他の劇団と公演した大野外劇『100年気球メトロポリス』はあの時代の空気が消える最後の打ち上げ花火のようだっだ。しかしまた新しい表現(エロス)が生まれるだろう。<戦争>の対極にあるものが、フロイトバタイユのいう<エロス>だ。自由な表現が衰退すれば、異質なものはすべて病気か犯罪に分類されていく。今見えている光景は、土方巽の『不具こそ正常』とは真逆である。表現の抑圧は、”見えない監獄”をどこまでも強固にしていくばかりだ。

女の平和


高校生の時に、人文書院の『ギリシア悲劇全集』全4巻を購入したのは、パゾリーニの映画『アポロンの地獄』を観たからだった。しかしギリシャ喜劇には触れたことがない。『女の平和』も週刊文春の書評欄で初めて知った。アテネとスパルタとのペロポネソス戦争の最中に書かれた作品で、女性たちが会議を開き、戦争を終わらせるためにセックス・ストライキをする。そして戦争は終わり、歓喜の歌に包まれるという下ネタ満載の喜劇だ。
雄は”競争する性”で、雌は”選択する性”であるが、世界中の雄の指導者が”反知性”になる衆愚政治の状況は、あまりにも愚かしく恥ずかしい。一度、すべての男が表舞台から退場する世界を見てみたい。女はどんな選択をするのだろうか。競争に負けた男と選択する相手がいない女、近代型社会システムは少数の勝ち組と大多数の負け組という二極社会の中で暴走していく。従属する安息と自己の権威化への渇望、そして破壊衝動へ。
常識や規範を疑うことだ。女が男を襲う社会、女性が自由に多数の男と関係を持つ”父親不在の社会”は、わずかだが現存している。そこではすべての子供が、誰もが守るべき”社会の子供”である。

ヤオイ


中島梓は”ヤオイ(ヤマなしオチなしイミなし)”とは『”イミ”をもとにして構成された現代民主主義社会の根本原理に対するアンチテーゼ、反逆のテーゼである』と書いた。男同士のらぶらぶなホームドラマを否定し、”性と暴力””人間性の深淵”を描くヤオイには他のジャンルよりも10倍も20倍もの筆力が必要であり、知識が必要であるのだと。セックスを描くなら死ぬほどセックスをするか死ぬほどセックスを”勉強しなさい”と言い続けた。『残虐さや悪魔性や背徳や、恐ろしい背信や狂気の方が、愚かしさと厚顔無恥よりはるかに罪が軽い』と。『ヤオイとは永遠の孤独であり、永遠のアナーキズム、もっと狂気を』と書く人が同時代にいたことが嬉しい。それこそがカイヨワの戦争論、”聖なるものの恍惚と陶酔”に対抗できるのだ。中島梓は言葉の力を信じていたし、ばばあになってもヤオう、ロックを聴く初めての世代に期待もしていただろう。しかしそれから20年後の今、わかりやすい物語と単純な言葉ばかりがあふれるようになってしまった。中島梓が言う『一番いまの世の中でおそろしいのは”私だけは病気じゃない”と思っている人だ』という人たちばかりが目につくようになった。言葉がどんどんとやせ細っていく光景はおそろしい。