早春


昨年末に放送されていた連続ドラマ、”エルピス”を観ていた。権力者が連続殺人の犯人を隠蔽し、冤罪事件を生むという話だった。警察は捜査を放棄し、メディアは冤罪者の誤った人物像を書き立てていく。ちょうどその頃、NHKでは”松本清張帝銀事件”をやっていた。これは冤罪事件ではないかと取材を続けた松本清張が、”小説帝銀事件”として出版したもので、内容は”エルピス”と同じ構図だ。番組では新しくGHQの資料を公開していた。帝銀事件で使われた毒物は青酸カリではなく731部隊でつくられたもので、持ち出した可能性がある人物がいた。GHQ731部隊が行なった人体実験の研究資料をすべて渡す事と引き換えに、部隊員の罪を問わなかった。その事で捜査は731部隊から離れ、メディアは冤罪の可能性がある人物の人間性まで暴いていくことになる。メディアがすべきことは権力の監視と弱者の救済だ。731部隊に関しては、1980年頃に出版された森村誠一の”悪魔の飽食”も当時話題になっている。
戦後、東京裁判A級戦犯になることを免れた政治家による米国従属が始まり、それが今も続いている。米国は日本を反共の壁にしたかった。”憲法9条”は押し付けられたものではなく、米国の戦争に巻き込まれないための最も賢明な戦略だった。それが大きく変わり始めた。日米貿易摩擦の時には必要のない半導体を買わされて産業は衰退し、国内で余剰もある米を買わされて農業も衰退した。今度は最新鋭のミサイルに比べて5分の1程度の巡航速度でしかない時代遅れのトマホークを大量に買わされ、米軍の肩代わりをする最前線基地になるのだろうか。 独裁政権の大虐殺の映像は何度も見ているが、独裁政権が非暴力、不服従で倒れていく光景もまた何度も見ている。権力は人の欲望を利用し、敵をつくることで肥大する。市民に敵対的な感情を持たせるためのプロパガンダは、どこの国でも巧妙に続けられている。それぞれの国で、それぞれが”不服従”であり続けるしかない。
テレビをつけると、異形の才能であるマツコデラックスと桃井かおりが語っていた。親の価値観(メイン・カルチャー)とはまったく違う、対抗文化(カウンター・カルチャー)を象徴するようなふたりだ。しかし親が死に、その価値観から解放されて自由になった時に、普通のなんでもない日常に思いを巡らせるようになったと語っていた。寒い日が続いているが、もうすぐ春がきて野の花も咲く。その時にまだ、私に変わらない日常があるとすれば、暖かい日差しの中でまた、美味い酒を飲むことができる幸福があるだろう。