GOD


世界宗教地図を見ると、無宗教という国は少ない。ほとんどはユダヤ教キリスト教イスラム教という一神教の国だ。 この国では宗教とは無縁の人が多いように見えるが、多くの人は代々の墓のある寺の檀家であったり、近くの神社の氏子で祭りに参加をしていたりする。世界宗教地図では仏教か地域宗教の国ということになる。漠然と神に祈ったり、感謝したりする時の神は一神教の神だったりもする。人間の際限のない欲望を抑えて、社会を維持するために宗教は生まれた。それは同時に単純な二元論や差別も生み出した。同じ神であるはずの一神教の間でも摩擦が起こり続けている。仏教は世界宗教にはならなかったが、ヒッピーや物理学者の間では禅や東洋的なものの見方は多く語られている。人は定住を始めるようになって、急速に人口を拡大していった。大量の労働力や戦力が必要になったからだ。労働力や戦力として生まれる理不尽と、一神教は相性がよかった。仏教の”空”や老荘思想の”無”は、人の権力や富への欲望とは馴染まなかったのだろう。今は意思を持たない"非自己”のウイルスが、人の欲望を制御しているとは皮肉なものだ。
この国は、ひとりの若者がひとりの老人を支える超高齢化社会だといわれている。しかしあと20年もすれば、その一番大きな塊である世代はすべていなくなる。人口も減り続けるだろう。この国は経済ではなく、SDGsを実践する最先端の国のひとつになる。その時の国のかたちは若い人たちが決めればいい。そこには”生産性””効率””自己責任”といったものは必要なく、”空”や”無”があればいいのだろう。落語の”粗忽”とはそういうものである。あっけらかんとろくでもない権力を笑いとばす装置が必要だ。楽しさや笑いは何もない路傍にある。