まあ


店をやめて営業時間に縛られなければ、自由になれるかと思っていたが、”いつでも”という言葉は”今日でなくても”と同義語だった。”いつか”と思っている内に時は過ぎ、そのうちに店や町のいたるところが禁煙になり、コロナ渦になっていよいよ行けるところが”誰もいない場所”しかなくなった。
店を移転した時、真向かいに”海の家”のような雰囲気の飲み屋があった。店のオーナーが、まだ若いSに店をまかせると、酒を持った若い連中が店頭で飲んでいたり、こちらの店にもやって来るようになった。それならばと週に一度、酒持ち込みOKの日にしたのだった。酔うという事は馬鹿になれるという事だ。人が集まるようになり、盛り上がっていったのは花屋のTちゃんがいたからだろう。淡々と自己の失敗と悲惨を語れる名人だった。人は『わたしの普通とあなたの普通は同じではない』『わたしの正義とあなたの正義は同じではない』という当たり前の事も、日常生活の中で簡単に忘れてしまう。若い人はともかく、長く生きてきた人は所属してきた社会の価値観に縛られ、語れない事も増えていく。そこから逃れられない人は、何も語らずとも背負ってきた社会的背景が透けてみえている。あの時あの場では花屋のTちゃんの語りにつられて、その背景をフラットに変える事ができた人もいた。それぞれが語るそれぞれの失敗や悲惨を、『クズだな』『バカだね』『アホだ』と笑い飛ばす事ができた。そこにはカタルシスがあり、救われた人も多かっただろう。落語のように、いつも同じ話で笑う事ができた。井原西鶴の人間の愚かな行為の全肯定だ。冬の寒い日、店のコンクリートの床にブルーシートを敷いて車座で飲み、春は桜の樹の下で飲んだ。しかし毎回必ず終電に乗り遅れるし、やがて疲れて自然に消滅していったのだった。
飲み会で騒ぐという光景が、ずいぶんと遠いものになった。今は皆、それぞれがそれぞれの場所でまた失敗や悲惨があり、理不尽を感じているかもしれないが、あの時のように笑い飛ばすしかない。『重い荷物を背負ってはいるけど、中身は何もない』と、げんきいいぞうが歌っている。『まあ生きていればよしとする』と。