猫語


世の中には観察眼の鋭い人は多いが、私は誰かを思い浮かべることがあっても、その人が何をしていたのか、どんな姿だったのかはほとんど思い出せない。人の姿形やその背景への関心が欠落しているのだろう。興味があるのは、その場の居心地が良かったかといった事だけなのだ。日がな一日、猫と居るようになって”猫の時間”にも慣れた。長時間眠り、しばらくの間まったりとくつろぎ、ちょっとケンカをして騒いだらまた寝る。ふと気づくと、いつのまにか私は猫語で話していたのだった。