Creep


近所の八重桜が綺麗に咲いている。休日になると下町散歩をしていた頃があった。ソメイヨシノの頃は神楽坂から江戸川橋神田川を歩いて都電に乗り、車窓から桜を眺めていると飛鳥山が見えてくる。墨堤でぼんやりと桜を見上げていると、くわえ煙草のご隠居や姐さんが「まあ、一杯やりな」と缶ビールを渡してくれたりもした。あの頃の町は、解放区だった。井原西鶴の世界のように、とんでもないが愛おしい人たちが暮らしていた。いつのまにか町には不寛容と排除が溢れるようになり、都心へと向かうことはなくなった。人の集まる場所からはずれれば、誰ひとりいない場所はいたるところにある。日本酒におちょこ、おにぎりでも持っていけば、自由な”どこでも居酒屋”はいくらでもあるのだ。そして町ではホームレスの人たちが寝られないように、公園のベンチには真ん中に手すりがつけられ、高架下にはブロックのアート作品が置かれるようになった。
町が”見えない不安”に潰されている。戦時下のような精神論がきこえ、監視社会を求める人の心も怖い。散歩の途中に寄り道していた古本屋も、「今月は行くことができないか」と営業状況をみてみると、その内の一軒が5日に突然店を閉めていた。規模も大きく、繁盛もしていた店なので驚いた。固定費の支払いは続くので、大半の人は経済活動をとめれば生きていけない。どの業種も同じく厳しいだろうが、何とか持ちこたえてほしいものだ。2メートルの社会的距離は気をつける事もできるだろうが、何もかも除菌することなどできるわけもない。とりあえず今日はノンアルコールビールを飲みながら、Radioheadの“Creep”を聴いていよう。
人はすでに多くの細菌やウイルスを持っている。人が死ねばウイルスも生きていけない。未知のウイルスはまた現れるし、他の災害も起こるだろう。折り合いをつけて共生する道を探し、破綻しないための準備を続けていくしかない。『個人の自由と権力者の不自由を』と言って、大林宣彦が亡くなった。
[“ウイルスとはなにか”については松岡正剛が千夜千冊で書いている]