歩道橋


歩道橋の上から街を眺めていると人の数は減り、人と人との距離も随分と広がったように見える。感染をすれば村八分のような扱いをされるといった事も起こり、人の心は荒んでいく。世界が不確定である事に耐えられず、良い人には良い結果が、悪い人には悪い結果がもたされると思い込み、被害者を責める『公正世界仮説』や、自分の中にある嫌な部分から逃がれるために、その嫌な部分を他者に押し付け、相手を攻撃する『投影性同一視』などが起こる。人との距離が遠くなり、対話が失われた日常では、「退行が始まり人は幼稚化し、0か100かの”白黒思考”になっていく」と精神科医斉藤環が語っていた。そして「”親密さ”とは体液の交換(エアロゾル)である」のだと。
都市が壊滅的な被害を受ける災害は、いつ起きてもおかしくない。今回の自粛生活では、国民のすべてに一律の給付金がくるらしい。それが恒常的なベーシックインカムであれば緊急の事態にもいつでも対処ができる。都市にしがみついて暮らす必要もなくなり、吟遊詩人のように暮らしたり、自給自足のような生活へのハードルも随分と下がり、多様な生き方が可能になる。コロナでアメリカでは4000万以上の失業手当の申請がだされたというが、わずかな勝ち組は金融緩和でその間にも資産を60兆以上増やした。資本主義の欠陥は初めからわかっていた事だ。貨幣は大量にあるところだけに更に蓄積していく。新自由主義はそれをただ急加速させるだけのシステムだった。再分配の財源は蓄積する富に税をかけるか、蓄積をしないために1年で失効といった有効期限を設ければいいのだ。
猫と私は布団が大好きである。枕元に新聞や雑誌を置いてなかなか離れることができない。猫との社会距離ゼロで暮らしている。この2ヶ月半でわかったこと、『何もしない』事も役に立つと改めて知らされた事だった。