ドロップ・アウト


ウディ・ガスリー/わが心のふるさと

時々、自転車で店の前を通っていたAさんは、家庭ででた不用品を引き取るなどして生計をたてていた。そんなある日、ご機嫌な様子で顔を出すと、自分でリサイクル店を始めると言ったのだ。場所が駅からはとても歩いてはいけない街道沿いときいて、「絶対にやめた方がいい」と僕は止めた。それでも店を始めてしまったAさんだったが、たまに店にくると浮かない顔をしていて、「その内、いい儲け話もある」が口癖になっていった。そして、やがていつのまにか姿を見ることもなくなってしまった。Aさんはそうなった理由は語らなかったが、「一時期、立川でホームレスをしていた事があるんだよ」と何度か話していたことがある。その頃は店の人が弁当を渡してくれ、煙草は帰り道の酔客が箱ごと置いていき、飲み屋のねえさんがウイスキーのボトルなどを持ってきてくれたという。「何の不自由もなかったなあ」と遠い目で言った。寛容な時代だった。その借りは、立ち直った時に他の困った誰かに返せばいいと皆が思っていたのだ。あの頃は家にも町にもいろいろな匂いがあった。今はどこも無味無臭で、無菌化も進み町も人もバーチャルのようだ。”ドロップ・アウト”という言葉が肯定的な意味で使われていた頃もあった。均質化が進み不寛容が溢れ、それはもう袋小路の人生の終わりのような言葉になってしまった。あるのは閉塞感ばかり。