JAZZ


『セックス・ドラッグ・ジャズ』は、ケルアックの”路上(オン・ザ・ロード)”の帯にも書いてある”ビート・ジェネレーション”を象徴する言葉だ。1960年代の後半はその中の”ジャズ”が”ロックンロール”に変わっていった頃だが、まだ多くのジャズ喫茶が営業していた。10代だった僕は”ビート・ジェネレーション”の世代ではないし、ギンズバーグの”吠える”よりもボードレールの”悪の華”のほうがずっと心に響いていたが、”ショートピース”の煙が充満する渋谷や新宿のジャズ喫茶でよく時間を潰していた。自由が丘の”ファイブスポット”のライブでは、まだデビューする前の増尾好秋を聴いた記憶がある。日本のジャズでは刹那的な阿部薫のサックスや打楽器のようにピアノを弾いていた山下洋輔には衝撃をうけたし、高木元輝と豊住芳三郎は”狂気が彷徨う”という映画の暗い画面を更に暗くする音楽が印象に残っている。武満徹やタージ・マハル旅行団(小杉武久)のような、音と音の”間”に音を感じるというような時代だった。ジャズ、ロック、現代音楽の融合、他のジャンルの表現とのボーダーレスの時代でもあった。
小杉武久が演奏をしている映像を観た、”フルクサス”の展示があった清里現代美術館は今はもうない。あまりの喧騒に車で通り過ぎただけだった清里の今を”やすらぎの刻”というドラマで知ったが、人のいないひっそりとした場所に変貌していた。時代は移り変わり、すぐに忘れ去られていく。しかし未来を知るためには、過去を知るしか方法はない。ラジオから現在のロンドン・ジャズ、”SEED ENSEMBLE”というグループの曲が流れてきた。