邪宗門


寺山修司の映画や演劇を観たのは十代の頃だった。文化とは例外(異端)を生み出すための装置である。
生物が生存していくには多様性が必要だ。働く蟻や闘う蟻だけしかいない社会は絶滅する。働かない蟻にも意味がある。新人類の中で、他よりも弱点の多いホモ・サピエンスだけが生き延びる事ができたのは、それを補うための相互扶助を知ったからだった。そして人間社会は成立したが、しかし今はその人口はすぐにも100億になり、大量のエネルギー消費が必要な未曾有の事態だ。神話から未来永劫続くという国家観は、その時代の為政者に都合よく書き換えられる。国家(政権)とは生まれては消える存在なのだ。愛国心は政権に対する忠誠ではなく、生きている土地を愛する事である。多様性のない社会、利益誘導と同調圧力の社会はまたいつかと同じ破滅の道へと向かうだろう。
時の政権が民衆を啓蒙する宗教を弾圧したのが「邪宗門」だ。世の中がなんだか息苦しく思える日、CDで寺山修司の演劇”邪宗門”のラストシーンを聴くと元気がでた。人は欲望の奴隷にならず、いつか弾圧と迫害から解放されるのだと。