『アメリカ最大の公共事業は戦争である』
内政がどうにもならない時、”戦争の危機”を煽るのはどこの国も同じだ。恐怖は従属と虚勢をうむ。一旦、精神の奴隷になれば、批判は権力には向かわず、同じ市民を監視し攻撃するようになる。自由という風向きが変わり、”自己責任の不健康”を異様に排除する風が吹き始めたのは90年代の終わり頃だったろうか。それは”お国の役に立たない”ものを排除する戦前戦時と変わらない。そして今歴史は繰り返し、”共謀罪”という風が退路をも絶ってしまうのだろうか。
抽象
フランシス・ベーコンの絵が深夜のテレビに映し出されていた。彼の絵には人間の本質があり、その眼差しが物語を紡ぎ出す。僕は子供の頃に観たホアン・ミロの絵が好きだった。世界をあんな風に観ていたかった。今、表現とはベーコンのような眼を持つことなのだろう。しかし僕は、何者でもない抽象でありたかったのだ。
FOREVER YOUNG
店を始めた頃、店を開ける前に近くの珈琲店でゆったりと一服するのが常だった。それから何年か経った頃だ。なんとなく居心地の悪さを感じ始めていたある日、珈琲店の客だったバイク乗りが「信号待ちの路上でくわえ煙草をしていた男の煙草をもぎとり踏み消した」と笑いながら語っていた。”規則は破るためにある”はずだったバイク乗りが、取り締まる側にいった。”規則をつくる側を監視”するのではなく、”市民が市民を監視”する暗黒の社会がくるのではないかと思ったが、それは急速に進んでいる。
ふざけるんじゃねえよ
桜は開花したが曇り空の寒い日が続いていて、テレビをつければ新しい道徳教育を押し進める人たちには道徳のかけらもない。何もかもがパッとしないと思える日、カーラジオから"頭脳警察"が流れてきた。