城山の猫


今住んでいる場所に越してきた頃は、道路が整備され始めた頃で今とは違う景色だった。その後道路が延伸し橋が二つでき、大型店もできた。そして府中に向かう旧道のバス通りにあった蕎麦屋や食堂は姿を消した。近くにある城山のあたりも随分と整備がされた。保存古民家がある後ろのハケ沿いが小ぢんまりとした公園になっているが、その頃は木や草がうっそうとしていて野良猫はみるが散歩をする人の姿もほとんどいなかった。町猫はボランティアの方が避妊などの世話をしていて、城山にも今はもういない。あの頃、たまにその道を歩いているといつも、古民家の後ろにある木製のデッキの手すりの上に巨大な長毛の白猫がいた。他の猫はバラバラと草むらなどにその姿を見かけたが、その猫はいつも同じ場所にいた。頭を撫でても泰然としていて、持っていた酒の肴をだしてみると悠然とした風情で口にする、その姿を見るのが好きだった。そんな日々が続いたある日、その場所を通ると姿は見えず、デッキの奥の草むらに布団がみえた。近づいてみると掛け布団の下に子供のようなものが見えて驚いたが、そこに長毛の猫が寝ていたのだ。布団の周りには7~8匹の猫が座り、その姿をじっとみていた。人にできることは何もない。そして次にその場所を通った時にはもう何もなかった。あれほどいた野良猫の姿も見つけることができない。歩いているとようやく、遠くの草むらにうずくまっている一匹の猫を見ただけだった。

泣ける歌


テレビをつけると”泣ける歌特集”といった番組を観ることがあるが、それらの曲で泣けたことがない。岡林信康貧困差別を歌い、その後社会変革を歌った頃の曲は後楽園で観た黒テントの”翼を燃やす天使たちの舞踏”という演劇の幕間でライブで聴いた記憶がある。その後それらの曲への批判や政治利用に疲れて、心身ともに病んだ頃の岡林信康が作った曲が”君に捧げるラブソング”だったかと思う。初めて聴いた頃は何も思わなかったが、今は酔いつぶれた夜に聴くと泣ける。『そうさ僕は僕、何もできはしない』

最後の一曲


”ミュージック・ポートレイト”の人生の終わりに聴きたい一曲で、”くるり”の岸田繁が「朧月夜」と語っていた。これは同感だ。菜の花と桜の頃がいい。紅葉の頃なら「里の秋」、冬になれば「冬の星座」、どれもカップ酒と最後の煙草の一服によく似合う。しかしその前に、年ごとに長くなる厳しい夏を乗り切ることができるのだろうか。


Night Walk


厳しい夏がようやく終わったと思ったら、厳しい冬が来た。テレビで気象予報士が「今年の秋は3週間でした」と言っていた。気候までもが極端になっていく。寒風の夕暮れ時は佇んでいる事もできない。しかし深夜の帰り道では樹々のざわめきもやみ、穏やかな静けさに包まれる事が多い。夜は優しい。

キワがいい


世界は2極化に向かっている。人は何かを極めたがる存在であるし、極端な言動に鼓舞される存在でもある。今こそそれらの間にあるキワにたち世界の景色を眺めたい。そこにあるのはエロティシズム、オカルティズムや、そして蕩尽だ。逸脱や過剰は道徳から生まれるが、キワにあるものは永遠の官能だ。本当に現実は存在するのか物理学や認知心理学が進化したとしても、妄想は世界を変える。この国の政治には何もないが、文化にはその萌芽があるようにも見える。

 

無用の美


一億総活躍などという言葉が何の羞恥心もなく使われる日が来るとは思わなかった。生産性や有用性では事物は測れず、むしろ無用のものこそ美しい。

ジョルジュ・バタイユ『至高性』
ジョルジュ・バタイユ『至高性』

紫煙はのぼり、ぼんやりとしている


猫を撫でながら、一日を過ごす。散歩に出て小川や池にプカーッと浮かんでいる鴨や、まったく動かない鷺や亀をぼんやりと眺めながらカップ酒をあける。生物の徹底した体力温存を見習う。肉食の動物が獲物を捕獲する時でさえ無理をする事はない。人間の異常な過剰さが文明や文化を生んだ。他の生物からみれば、それは単に迷惑で厄介な存在でしかないのだ。