大晦日に


谷川俊太郎が死んだ。高校生の頃、私は同級生のMくんとガリ版刷りの詩集を創っていた。その頃、15,6年前に出版された”二十億光年の孤独”を読んだ。ちょうど20歳年上の谷川俊太郎が十代の頃に書いた詩だ。1960年代の後半は文学や思想の言葉が溢れ出し、氾濫した時代である。谷川俊太郎のなんでもない言葉が新鮮だった。かなわないなと思った。
『宇宙はどんどん膨らんでゆく それ故みんなは不安である』(二十億光年の孤独)
『透明な過去の駅で 遺失物係の前に立ったら 僕は余計に悲しくなってしまった』(悲しみ)
『また輝き出した太陽に 僕はしたしい挨拶をした』(山荘だより)
作詞家になったMくんとはその頃から一度も会っていないが、どうしてるだろうと検索をしてみた。Wikipediaを見ると、3年前に亡くなっていた。
年末に古い友人のMdくんから葉書が届いた。まったく金のない20代の頃、安アパートに集まり安い酒を飲み、即興の曲を歌ったりして遊んでいた仲間だ。私はその後、その頃創刊されたアウトローな夕刊紙にアルバイトに行くことにし、それから何年間も酒とギャンブルの日々を送ることになる。やがて皆、それぞれの場所でそれぞれの暮らしが始まった。店を始めて、年末年始も営業をするようになってからは年賀状もやめたので、近況はまったく知らない。葉書には”今年Sくんが、2年前にはYくんが亡くなった”と書いてあった。死は身近にある。時々、聴きたくなる曲がある。今夜は久しぶりにレディオヘッドの”Creep”を聴こう。高円寺で飲んでいた頃のことだ。終電もとっくに終わった深夜、たまに歩いて阿佐ヶ谷にあるバーに行った。そこには”どうやって生きてるのだろう”という泥酔した若い連中が集まっていた。明け方の閉店時、決まってかかるのはジミー・クリフの”Many Rivers To Cross”だった。なんだか、げんきいいぞうの”どこにもいけない”が聴きたくなった。
『What the hell am I doing? I don’t belong here なぜ僕はここにいるのだろう 居場所なんてないのに』(Creep)
『Many rivers to cross But l can’t seem to find my way over いくつもの河がある だけど私は渡るべき河を見つけられない』(Many Rivers To Cross)
『重たい荷物を背負ってはいるけど中身はなにもない いまさらどこに行くあてもないけどどこにも行けない いまさら何をするわけじゃないけどどこにも行けない』(どこにもいけない)