どうにかなるさ


店のある町には、なけなしの年金で暮らしているような人も多かった。どちらにせよそれで暮らせるわけではないので、その金で酒を飲み競輪場に行けばすぐに消えてゆくのが常だ。金がなくなるとどこかの家の片付けの手伝いなどをして、そこででた不用品をリサイクルショップなどに持ち込んだりして糊口をしのぐ。そんな人が「どうだい、珍しい品だろう」と古本屋にも顔を出すのだが、使い物になるような品があったためしはほとんどない。それでもいいのだ。商売をしていると仕事の時間が夜にずれる。夕食の時間に洒落た店でワインなどをかたむけている人や、帰り道の盛り場で盛り上がっている人たちを見かけても、日常には何だか厄介で面倒なことがあると思うだけだった。しかし「さて、今日もこれから仕事だ」と通りかかった昼の公園で、その日暮らしの人たちが缶チューハイを飲んで笑っているのをみると、どこか羨ましくなる。非難も排除もされることもなく、そんな光景が当たり前だった頃があったのだ。町は古く混沌としていて、壊れそうな家賃1万程度の安アパートがどこにでもあり、日給数千円の日払いの仕事に数日行けば支払いはできて当面生きていくこともできる。どうにかなる、そんな頃があった。町を壊し経済成長や利便性を求めているうちに、今は人も壊れてしまった。