ヤオイ


中島梓は”ヤオイ(ヤマなしオチなしイミなし)”とは『”イミ”をもとにして構成された現代民主主義社会の根本原理に対するアンチテーゼ、反逆のテーゼである』と書いた。男同士のらぶらぶなホームドラマを否定し、”性と暴力””人間性の深淵”を描くヤオイには他のジャンルよりも10倍も20倍もの筆力が必要であり、知識が必要であるのだと。セックスを描くなら死ぬほどセックスをするか死ぬほどセックスを”勉強しなさい”と言い続けた。『残虐さや悪魔性や背徳や、恐ろしい背信や狂気の方が、愚かしさと厚顔無恥よりはるかに罪が軽い』と。『ヤオイとは永遠の孤独であり、永遠のアナーキズム、もっと狂気を』と書く人が同時代にいたことが嬉しい。それこそがカイヨワの戦争論、”聖なるものの恍惚と陶酔”に対抗できるのだ。中島梓は言葉の力を信じていたし、ばばあになってもヤオう、ロックを聴く初めての世代に期待もしていただろう。しかしそれから20年後の今、わかりやすい物語と単純な言葉ばかりがあふれるようになってしまった。中島梓が言う『一番いまの世の中でおそろしいのは”私だけは病気じゃない”と思っている人だ』という人たちばかりが目につくようになった。言葉がどんどんとやせ細っていく光景はおそろしい。