アングラ


水族館劇場の6月の羽村での公演については、夕刊紙に連載されているルポライターのコラムと、別の日の劇評で知った。若い頃はそれなりに演劇やコンサートにも行っていたが、今ではすべてが机上の知識になっている。野外ならまだ良いのだが、子供の頃から多動症気味だったので、決められた時間を決められた座席から動けないということが苦痛だった。その頃の映画館は、途中入場も席の移動も、ロビーへの出入りも自由で入れ替えもなかったので、まだ解放感があった。小林信彦も今の上映時間に合わせなくてはいけない不幸を、エッセイで書いている。映画館のある町も多く残っていて、住んでいた町の駅前にも3本立のピンク映画館があった。エアコンが普及してない頃は、営業の外回りや暇を持て余した年寄りが寝に来る場所だった。低予算でつくられ、商業性を求められてもいないので、何箇所かそれらしいシーンを入れておけば、あとは自由な表現ができるという空気感があった。若松孝二大和屋竺もそこにいた。
水族館劇場の桃山邑は余命宣告をされたことを公表し、今回の作品が最後になるという。月蝕歌劇団高取英も数年前に亡くなった。アングラ演劇の系譜といえる人たちがいなくなって、そういった表現はどうなっていくのだろう。山下達郎が二週に渡ってインタビューに答えている番組を観た。ヒットメイカーでありポップスターでもある彼が、メインストリームではなく70年安保でドロップアウトしたサブカルであり、数十人の聴衆しかいなければそういう場所で、同時代に帰郷し就職した人たちに向けて、生の肯定を歌うだけだと語っていた。それぞれの分野の才能ある人材を集め、多くの製作費をかけてヒット作をつくる商業作品とは無縁の、個人の場所にはいつの時代にもアングラな人たちはいる。
好きなことを続ける生産性のない人が、役に立たないと見える道を、明るく照らしている。多幸感はそんな場所にしかない。