芸能


また小沢昭一の”日本の放浪芸”を聴いている。”花見風景”を聴くと、どこの名所にも各地から多くの流しの芸人が集まってきていた事がわかる。酒と煙草と音曲と踊り、あの頃の大人たち、年寄りは元気だった。そこにはパンクもラップもあった。芸能の原型は出雲の阿国が”舞”ではない”踊り”を創った事に始まる。それを真似た群舞の”遊女踊り”などに流行りが移ると、阿国は戦国の世が終わり、目的を失った下級武士の子弟たちであるはみ出し者、”かぶき者”を模した男装で見得を切るという芸を創出した。それらは現在の芸能へとも受け継がれている。
陰陽五行では季節には色があり、それは人生も表している。”青春”は学生の時代、”朱夏” は労働の時代、”白秋”は隠居の時代、”玄冬”は最晩年といった感じだ。 青春は恥ずかしく痛いし、朱夏は長く見苦しい。”ずっと白秋でいいのに”と思っていたが、著作の中で、『それでいいのよ』と言ってくれていたのが杉浦日向子だった。石川英輔田中優子三田村鳶魚などのタイトルに”江戸”とつく本を見かけると買い、有線放送の演芸チャンネルや玉置宏の”ラジオ名人寄席”など一日中落語を聴き、巾着袋に入れた猪口を持って、下町やその周辺の江戸名所や路地裏、街道に宿場、坂や墓地、上水や用水に富士塚などをくまなく歩いた時期があったのも、その影響が大きい。私にとっての古本屋とは江戸のそれであり、乱歩の”D坂”の古本屋であった。できれば、落語の”らくだ”や”井戸の茶碗”などにでてくる紙屑屋がよかった。江戸のゴミは、糞尿だけでも現在の価値で年間40億程度の経済効果がある理想的な循環型社会だった。定着や所有への執着がなければ軽やかに生きられる。何度も書いているが、今語られている歴史観や伝統のほとんどは明治期につくられたものだ。気候不順による江戸の飢饉は近世特有の貧困ではなく、現在と変わらない藩や幕府が分配ではなく、米相場を利用して金儲けに走ったための失政だった。芸能は芸能者が庶民の声を聞く中から生まれ育った。その隣には常に政治があり、そして芸能は弱者の側にあった。
NHKの”SONGS”という番組で、”ずっと真夜中でいいのに”を観た。扇風機やブラウン管のノイズを使ったライブ・パフォーマンスが心地よく、録画しておいたものを何度か聴き返した。しかし意味や目的を求める"青春"とは厄介だ。何の役にも立たないものこそがうつくしい。”真夜中”とは”白秋”なのである。