crush


J・G・バラードの”沈んだ世界””燃える世界””結晶世界”が発売されたのは1960年代の終わりで、10代の頃に読んだ。破滅していく世界の静寂と美にあっという間に引き込まれた。その頃、山野浩一が雑誌『NW-SF』 を創刊し、その後サンリオ文庫が発刊され、SPECULATIVE FICTION(思弁小説)という言葉も定着していった。破滅三部作の後に出版された”クラッシュ”はクローネンバーグが映画化をした。テクノロジーへの憧憬と死への誘惑、エロスとタナトスを描いた異形の名作だ。後年に書かれた”太陽の帝国”は少年時代のバラードの体験がモチーフになっていて、スピルバーグが映画化をしている。そこでは、第二次世界大戦期に過ごした中国での少年時代が、のちの作品に大きく影響していることがわかる。その事が世界の破滅を”観念の美”へと昇華させる契機になっている。三島由紀夫は”金閣寺”の中で現実の美を破壊することで、観念の美へと昇華させる過程を描いた。その”滅びの美学”は戦場に行けなかったコンプレックスが自らの肉体に美を求め、虚構の戦争を具現化し殉ずる方へといってしまった。バラードの孤独や諦念は、稲垣足穂の”ヒコーキ野郎”や”一千一秒物語””A感覚とV感覚”のように『宇宙との一体化』へと向かったのだろう。
世界中で異常気象が続いている。氷河は溶け、大規模な山火事や洪水が至る所で起きている。密閉度の高いエアコンの効いた部屋の窓から眺める世界では、赤く染まった空が広がり、水に沈んだ車や家が見えている。それはやはり観念だが、やがて日常に変わるだろう。
『街に雨は降りやまず、われわれの死のやがてくるあたりも煙っている』(北村太郎)