幽霊画


谷中の全生庵落語協会が毎年、円朝まつりを開催している。その第1回目に行った。まだ都心に散歩に出かけていた頃だ。ビールを飲み、円丈にサインをもらい、志ん朝の”カッポレ”を観たのもこの時だったろうか。この夏の時期には円朝が蒐集した幽霊画の展覧会も全生庵で毎年催されている。薄暗い寺の会場では光と影が揺らぎ、何かの気配を感じた。”陰翳礼讃”だ。このまつりの事も谷崎潤一郎の話も確か以前に書いた。しかし映像もそうだが、消えてしまったものも多くあり見返すこともないので、何が残っているのかもよくわからない。どのみちずっと、同じことを言っているのだし、何度書いても読んでくれた方もとっくに忘れているだろう。幽霊画の事が頭に浮かんだのは、ETV”100分de名著”で島田雅彦谷崎潤一郎を語っていたからだ。
ピンク・フロイドキング・クリムゾンのコンサートに行った。ヌーヴェルバーグの映画を観、アンチロマンの小説を読み、フルクサスやネオ・ダダの展覧会に行き、小劇場の演劇を観た。アバンギャルドの空気にどっぷりと浸かっていた10代だったが、それは昼の時間や光のある場所にいる時の事だ。魑魅魍魎が姿を現わす闇がくれば、世界は変貌する。路地、樹々の間、あるいはカーテンの隙間にも異世界への通底口は現れた。その揺らぎやざわめきの中にいる深夜の散歩が心地よい。幻想のエロティシズムに谷崎潤一郎のようにひれ伏したかった。多面体であるほど日常は楽しいのだ。古い美術論集をパラパラと開いた。そこに1970年に「伝統ブーム」「復古ブーム」の”保守化”の潮流が顕著になったとあった。時代は変わる。
”この世界は生きづらい”と思っている人も多いのだろうが、空気感はあっという間に変わる。空気は曖昧で芒洋としたものだ。私たちも色や形を変え、ただ漂えばいい。私はどうやら順調に”妖怪化”が進んでいるようだ。それはうれしいが、日本酒を飲もうとベンチを探していて、ハッと振り返ると子供が楽しそうについてきているのは困る。私はどのように見えているのか。そういえば先日、焼酎を入れて飲もうと自動販売機で水を買っていた時の事だ。その姿がよほど嬉しそうに見えたのか、歩いてきたおばあさんに「美味しそうなの買って、よかったね」と言われたのだった。