青空


「わたしもインディアナ州で ほかのみんなのように のらくら暮らしていたが とつぜん体のなかから あるものが湧きだした それは文明への嫌悪だった」 ー カート・ヴォネガット

『江戸にフランス革命を!』と書いたのは橋本治だ。絶対君主制に対するフランス革命大英帝国とのアメリカ独立戦争から民衆のナショナリズムは生まれた。しかし、この国では”大日本帝国憲法”発布により、政権への不満を他の対象へと向けるために、お上によってつくられたものだ。この国には民衆から生まれたナショナリズムや民主主義はない。虚妄の選民意識を持たさせられれば、棄民がつくられる。しかし誰もが等しく棄民であるということは、歴史をみれば誰にでもわかることだ。世界の人口のたった数パーセントが二酸化炭素排出量の半分を使う暮らしをしているが、50パーセントの人たちは大量のエネルギー消費とは無縁の暮らしをしている。それでも、プライベートジェットよりも焚き火の煙が”不快”と非難されるのだ。橋本治が”原っぱ”について語っていた。戦後民主主義は原っぱを潰し、自由を規制する作業をしただけだった。だが、誰もが心のどこかに原っぱを持っている。
『家、ついていっていいですか』というテレビ番組を観ていると、風呂なし安アパートの住人が銭湯に行ったあと、焼酎とお湯とつまみを持ち、公園のベンチで一杯やっていた。そこには何もないが何でもあった幻の原っぱが確かに広がっていた。わたしもただ青空だけがある場所、何もない場所に座ってワンカップを飲んでいる。