乱歩


小林清親の”ガス燈”、夜店の”アセチレンのランプ”の灯り、その隣には必ず深い闇があり、そこには何かがいる。乱歩の世界は町のどこにでもあった。椅子の中や屋根裏には人がひそんでいて、裸電球の土間で営業をしている古本屋の障子の向こう側では秘め事が行われている。少年の頃、城のある公園の夏祭りの日、僕は夜店の前に佇んでいた。木の葉がざわめくと光が揺れ、闇の中で何かの影が動いた。その時、僕は人さらいにさらわれた。サーカス団や見世物小屋の住人たちがいるパノラマ島に確かにいたのだ。しかし気がつくとまた元の、同じ場所の同じ時間に戻っていた。今では闇は消え、影の揺らぎも木の葉のざわめきもなく、監視カメラだらけの街には異界のものたちが潜む場所はない。
本屋に行けば、過去の小説が再版されていて、カバーがアニメ風の絵に変わっている。新しい読者を獲得するためには必要なのだろうが、なんだか種明かしをされた後の手品を見ているような気分になる。遠い日に、テアトル東京でキューブリックの”2001年宇宙の旅”を観た後、アーサー・C・クラークの小説版を読んだ。ひどくわかりやすい物語になっていて、映画を観た時のワクワクは急速に消えていった。ブラッドベリの”何かが道をやってくる”の何かは、いつまでも何かであっていい。幻視の扉を開ければ、そこにはボルヘスの”迷宮の図書館”がある。