自由


鶴瓶の深夜番組を観ているとゲストのイッセー尾形が、"巷の気になる人"という事で何度か行った事があるという四国の古本屋を紹介していた。外観は今時風の洒落た造りなのだが、くわえ煙草で珈琲好きの店主が山になった雑多な本に埋もれていた。こんな道楽の店がまだ生き残っているんだな。だがそんな店はほば絶滅し、町からは自由が消え、もう人の多い場所には行く事もできない。
NHKスペシャルで『日本新聞の10年』をやっていた。大正デモクラシーで得た自由を、”日本主義”という全体主義が消してしまうまで、たった10年だった。その頃、ワイマール共和国も10数年で消えた。それから80年後の今、日本新聞で使われていた扇動の言葉がまた聞こえるようになり、あの頃と同じような乱暴な光景が見られるようになった。
産業革命以降の自分は何者であるのか、何かの役に立つのかという人の心の隙間をあっという間に全体主義が侵食していく。全体から個へ、ナショナリズムからノマドへ、何者にもならず個別に考え、ただ道楽を生き続けるだけだ。