tell me


ラジオから”tell me”という声が聴こえてきた。その人は”unravel me”とも言っていた。もし僕にその言葉が向けられたなら、まったく同じ言葉を相手に返すだろう。誰にも解明なんかできやしない。
長年の黒木華のファンなので、『凪のお暇』というドラマを観た。あの人の演技を観るだけでなぜか嬉しいのだ。すると店のあった商店街がドラマの舞台になっていた。映像で見るととてもいい雰囲気で、確かに家賃の心配のなかった一年間は楽しかった。URの半年間の家賃免除の支援があり、その上小銭を賭けた競馬でも奇跡が起きたのだった。しかし店を移転してからやめるまでの何年かの間にも、短く小さな商店街の中で夜逃げ、心中、突然死、末期癌などいろいろな事が起こっていた。町にはそんな事は何もないかのような日常の時間が流れていて、行き交う人も何も気づかない。ある日通った人が何気なく立ち止まると、いつのまにかシャッターの閉まったままの店ばかりがあり、他の人が通る姿もまったく見えない事に気づく。そんな場所が日本中のいたるところにあるのだろう。
文学や芸術をつくるのは狂気である。作家とはとんでもない人たちばかりにみえたが、それが近代によって排除された精神のセーフティネットだったのだ。今では作家にさえ道徳性が求められ(世界は不道徳で単純な言葉に満ちているのに)、表現も経済行為として語られるようになってしまった。中島梓が”ベストセラーの構造”を書いた頃よりも、ずっとひどくなった。”tell me”に答える声は聞こえない。