生きる


この国が死の意味を国家から個人に取り戻したのは70年前だ。そこに必要なものは認識と記憶だが、時代は逆行しもはや他の何かになる想像力も希薄になってきた。帰属意識を持たなければ排除をされるという恐怖心がこの社会を支配している。そして集団から個人へと取り戻したはずの死もまた理不尽に訪れるのだ。
梅雨空の夕暮れ時、机の前で作業をしていると電話が鳴った。また営業だろうと面倒に思いながら受話器をとると、「⚪︎⚪︎ですが…」と女性の声がした。「あー、久しぶりですねー」と能天気な声を出した私に、彼女は静かな声で「だんなが死んだんですよ」と続けたのだった。アニメーターのKくんは、店を始めた頃に特殊な背景を描く資料を探しに来て話したのが最初だったので、もう随分と長い付き合いになる。ひと月くらい前の明け方に、仕事部屋のアパートで締め切りの原稿を書き終えた後、カップラーメンの用意をしていた時に倒れたらしく、原稿を取りに来た制作会社の方がみつけたのだけれど、すでに…と話す奥さんの声を聞きながら、私は『働くしかない。死ねないなあ』と言っていたKくんを思い出していた。まだ50代だし、大変な事情も知っているので返す言葉もなかった。とにかくタフで、徹夜明けで店に顔をだしても、『一週間ぶりの帰宅だ』『このあと、用事で田舎にいく』といったことがよくあった。一ヶ月がたち、少し落ち着いたらしい奥さんの昔の話に、私には「なんとか、がんばりましょう」という言葉しかなかった。