生活の柄


携帯電話などなく、固定電話を引くことなんてとてもできない頃だ。僕はろくに仕事もしていなかったけれど、目的もなくただ歩いていたりして留守にしていることが多かった。店をやめた時、捨てたものの中に古い手紙の束があった。その中にはさまれていた置き手紙のひとつにふと目がいった。そこには「顔をみたくなって訪ねてみましたが留守でした。帰ろうと思っていると、隣の方が『中で待っていれば』と鍵を開けてくれました。遅くなってしまったので帰ります。冷蔵庫に差し入れがあるので食べてください」というような事が書いてあった。猫が出入りしていた頃は台所の窓を開けておいたが、そうでない時も窓の鍵をかけていない事が多かった。そこから手を伸ばせば、ドアの内側のノブに手が届くのだ。盗まれて困るようなものは何も持っていないし、その事を知っていれば誰でも部屋に入る事ができた。それにしても深夜に麻雀を打っていて怒鳴り込まれたりした事もあったが、たまに顔をあわす事があれば立ち話をした程度の知り合いだった隣の住人が「鍵を開けてくれた」なんて、のんびりとしていたな。そして僕は、冷蔵庫に入っていた食料でまた何日か生き延びる事ができたのだ。