日時を調節して誰かと飲みに行くというのも何かと億劫だ。第一、飲みたいのはいつかではなく今なのだ。フラリと顔を出せば顔見知りがいる、行きつけの飲み屋もなくなった。店をやめ散歩が愉しい季節になれば、缶ビールでも持って訪ねたいと思っていた知り合いの店も今はもうない。店をやっていた頃、缶ビールやカップ酒を飲みながら馬鹿話をし、ほろ酔いで町へ消えていくお客がうらやましかった。自由で金もかからない。いい店だったな(笑)。皆が”どうにかなるさ”と・・・
文学青年
平日の昼間の店には、健康の問題や職場の都合で仕事をやめたお客もけっこういた。時間潰しには丁度よかったのだろう。そしてそういう職場は決まって保険や年金などの社会保障がまったくないのだ。「で、これからどうするんですか」と聞くと、皆が「まあ、なんとかなるでしょう」と達観したような顔をしている。考えてみれば、休むことなく働いたあげくに借金などつくってしまっている自営業者たちに比べればよほどマシだと思っているに違いない。永遠の文学青年といった風情のAさんもそうだった。文学青年といっても私と同じくらいの年齢なのだが、どこか浮世離れをしている。Aさんは将来住むところがないのは困るので、中古マンションを買ったといった。調べてみると、確かに2~300万程度で買えるような物件だってあるようだし、買っても当面は大丈夫という貯蓄がある事もすごいが、それにしたってそんな風に使っていて、「で、これからどうするんですか」とついまた聞いてしまった。「同人誌仲間に売れている女流作家がいるので、一緒に暮らさないかな」と言いながら、私の知らない郷土の作家の話などをまた淡々と続けるのだった。人生なんて、何が起きるかわからない。Aさんを見習って、とりあえずは好きな作家の本でも読む事にした。
昼寝
暑い午後、それでも窓からはいい風が入ってきて、昼におきたばかりなのだがとりあえず何もせずまた昼寝をしておこうという毎日だ。隣で長くなり欠伸をしている猫をぼんやりと眺めながら、とりとめのない事を考えている。散歩の途中、町の小さな公園のベンチで一服していた時の事だ。足元では数羽の鳩がのんびりと餌をついばんでいて、砂場の縁にはそれをみながら、まったく動かない猫がいた。のどかな光景だと眺めていると突然、猫が一羽の鳩を咥えて走り去って行った。もし野良として生きていたら、私にはそんな才能はとてもない。明け方に近い深夜に、コンビニに行こうと部屋をでると、驚くほどの数の野良猫の集会に出くわした事もあった。顔見知りの猫もいたが、会話を止めた猫たちの間を押し黙って通り抜けた。私があの中にいたとしたら、うまくやれる社会性があるとはとても思えない。もし私が野良として生きていたら・・・。たぶん誰かのおこぼれにあずかりながら放浪を続け、その果てにどこかで野垂れ死ぬのだろう。うつらうつらしながら、そんな事を思っていた。酔生夢死でいい、他に何があろう。